【難民を助ける会|理事長ブログにて執筆】
この週末、岩手県奥州市に行ってまいりました。地元のロータリークラブの年次会合で「人間の安全保障から見る国際政治」というタイトルで講演をさせていただきました。熱心に耳を傾けてくださった皆さまに感謝いたします。
終了後の懇親会で、少し離れた席の方が、私の横にこられて、膝を折ってお話を始めました。後藤健二さんのことでした。
内閣官房副長官(事務)を委員長とする「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」による検証報告書が公開された翌々日のことです。私はこの検証のプロセスに外部の有識者5名の一人として関わらせていただいており、この方も、私が検証委員会の有識者のメンバーだということをご存知の様子でした。
「普通の相手ではないことは分かる。だが、日本政府はもっと何かできなかったのだろうか」、「勝手に入ったのが悪い、死ぬ覚悟で行ったということなのかもしれないけれど、それでも、何とか助けることができなかっただろうか」、「日本人があんな風に狙われたのに、何もする気がなかったのだろうか。」「何もできなかったのだろうか。悔しい」と。少しお酒が入っておられましたが、とつとつとした東北弁で、声を詰まらせながらのお話でした。
私が、「もし、政府がお金を払ったら、日本人がいっそう狙われることになるかもしれないので」とまるで答弁のようなことしか言えずにいたところ、隣の席の、別の方が、「本当に難しい問題であったはず」と引き取ってくださいました。
同じような経験は、2月中旬に訪れた福島県の相馬市でもありました。私もメンバーである相馬市の「復興会議」顧問会議の後、立谷相馬市長や相馬市議会の方々と意見交換をさせていただいた際の出来事です。皆さん口々に後藤さんを悼む言葉と事件への思いを口にされ、同時に、私たちのトルコでの難民支援活動を心配してくださっていました。
東日本大震災の被災地の、自ら被災された方々の、あるいは復興のために毎日大変なご尽力を続けておられる方々の口から出た痛切な言葉です。あらためて今回の事件が、多くの日本人にどれだけ大きな衝撃を与え、どれほど深い傷を残したのかを実感、痛感いたしました。
2015年5月21日、内閣官房副長官(事務)を委員長とする「邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会」による検証報告書が公開されました。
私は、この検証委員会による検証作業や報告書について、「専門的な立場」から意見を述べる外部有識者5名の内の一人として、参加させていただきました。私に求められた「専門的立場」とは、危険地での活動にかかわる国際協力関係者としてのそれです。メディアの方々同様、こうした事態に遭遇する可能性のある国際協力や援助関係の有識者としてご依頼を受け、お引き受けしました。同時に、後藤さんを直接知る人間の一人として、また今回の事件に衝撃を受け注視した国民の一人として、意見を述べさせていただきました。
教員として学生への論文指導のような物言いになってしまい恐縮ですが、ある言葉や言説を分析し、理解しようとする場合には、その言葉には3通りの考え方・捉え方があることを意識する必要があると思います。
一つ目は広辞苑に書いてあるような辞書的な意味としてのそれ。二つ目は、その言葉の使い手であり、論文であれば分析対象の当事者が用いる言葉としてのそれ、そして三つ目は、私たちが研究する際の、分析概念や切り口としてのそれです。同じ言葉であっても、全く別物であるということがしばしばです(3つの概念を整理しないまま、あたかも同じものであるかのように扱ってしまうと、とんでもなく混沌とした論文となってしまうことが多々あります)。
辞書的な意味はさておき、この原則を今回の「検証」という言葉・作業に当てはめてみたとき、政府や政府による検証委員会が使う言葉としての「検証」を二つ目とするならば、報告書の読み手である私たち国民やジャーナリストが捉え、期待する概念としての「検証」が三つ目にあたるといえるかもしれません。
そしてもしも、二つ目と三つ目に、何がしかのギャップや開きが存在するとしたならば、それを埋めるのも、「有識者」として参加した私の務めだと考えておりました。
検証報告書が公開され、検証のプロセスが終了した今、私自身、自分がすべきであったこと、求められていたことに対して、実際どれだけのことができたのか、できなかったのか。自分にできたこと、できなかったことを含め、自分に対して「検証」の目を向けているところです。しかし、これは私自身が私自身に対して一人で行う、極めてプライベートな、私的なプロセスです。
他方で、こうした「私的なプロセス」とは別に、皆さまと、外に開いて議論する責任も感じていました。そのような思いの中で、私が教員を務めている立教大学で、6月26日(金)夜、「シリアにおける邦人人質殺害事件を検証する ~ ジャーナリズムの立場から」と題したシンポジウムを企画いたしました。ささやかではありますが、市民の立場からの、もう一つの検証の試みです。
今回の検証委員会は,あくまでも政府の対応を検証するもので、事件の全容の解明やフリージャーナリストであった後藤健二氏のIS支配地域への入域の理由や背景などを含めた議論を目的としたものではありませんでした。
そこで、世界情勢がめまぐるしく変化する今、学生を始めとする大学関係者のみならず、広く一般の皆さまに注意を喚起し、類似の事件の再発防止に寄与するとともに、政府の検証委員会による検証報告を、市民、特にメディアの視点から「補完」することを目的として企画したものです。
ご登壇者は、アジアプレス・インターナショナル代表で早稲田大学教授の野中章弘さん、後藤健二さんとNHK・ETV特集「越冬・アフガニスタン」(2001年)を制作しまた紛争地で取材する日本人フリージャーナリストに題材をとりETV特集「戦場から伝えるもの」(2004年)を制作したNHK放送文化研究所・上級研究員七沢潔さん、フリージャーナリストのもっとも若い世代と言われる白川徹さん。
そしてコメンテーターに立教大学社会学部メディア社会学科教員の砂川浩慶さん、そして司会兼コーディネーターを私・長有紀枝が務めます。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会デザイン研究所主催、立教大学社会学部共催、そしてAARから協力をいただきます。
メディアの立場からの検証ですが、同じく危険地で活動することの多い国際協力NGOの危機管理にも資する議論をしたいと考えています。
入場は無料、要お申込み、定員300名先着順。もう一つの検証です。皆さまのご来場をお待ちしております。【終了しました】
※イスラム教への誤解が広がらないよう、「イスラム国」ではなく「IS」の呼称を用いています。
シリアにおける邦人人質殺害事件を検証する ~ ジャーナリズムの立場から」
日時 | 2015年6月26日(金)午後6時30分―午後9時 |
会場 | 立教大学池袋キャンパス 8号館8202教室 |
登壇者 | 【パネリスト】 野中 章弘:アジアプレス・インターナショナル代表,早稲田大学政治経済学術院教授 七沢 潔:NHK放送文化研究所・上級研究員 白川 徹 :フリージャーナリスト・21世紀社会デザイン研究科博士課程前期課程在籍中【コメント】 砂川 浩慶:立教大学社会学部メディア社会学科准教授【コーディネーター】 長 有紀枝:立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授 |
主催 | 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会デザイン研究所 |
共催 | 立教大学社会学部 |
協力 | AAR Japan[難民を助ける会] |
参加方法 | 終了 |
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