難民

長の「スレブレニツァ独立調査委員会」への参加につきまして

2019年3月28日

ボスニア・ヘルツェゴヴィナで発生したスレブレニツァ事件の犠牲者の方々を悼み、ご遺族・関係者の皆さまに衷心よりお悔やみを申し上げます。

このたび、ボスニアのスルプスカ共和国政府が、国外の委員9名からなる、国際専門家委員会(正式名称:「1992‐95年の間のすべての犠牲に関するスレブレニツァ独立国際調査委員会」を立ち上げ、その委員就任の依頼を受けました。 同政府によれば、この委員会の目的は「ボスニアの人々の信頼と寛容を醸成し、現在および次世代の和解と共生に資すること」で、この委員会の活動期間は1年の予定です。

他方で、同委員会の設立は、「加害者側の政府が、政治的に決定したものであり、ボスニア紛争やスレブレニツァ事件におけるセルビア系の戦争犯罪行為を相対化する目的があることは明らかであり、本委員会に加わることは、この相対化に加担するリスクがある」というご指摘も受けています。

私は、ボスニア紛争当時、日本の国際協力NGOの駐在員として現地に駐在した経緯があり、博士学位論文でスレブレニツァ事件を扱いました(2009年に「スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察」(東信堂)として出版。日本語のみ)。近年は旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)の判決と事件後の社会の相克を研究テーマとして、再び現地での調査を繰り返していました。今回の委員の打診は、こうした経緯によるものです。

本委員会の委員に就任するにあたって、私自身、熟考を重ねました。事件から20年以上が経過したこの時期の委員会結成は、政治的背景抜きには語れず、また対外的(国際的)にも、そうした動きとして解され、最終報告書はその内容のいかんにかかわらず、黙殺されるか、大きな批判にさらされていることが推測されます。また、窓口になった関係者以外、他の委員を存じ上げず、委員会でどのような議論が展開されるのか不透明な部分もあります。何より、これまで一歩一歩、時間をかけて築いてきた、スレブレニツァの犠牲者遺族や現地の非セルビア系の友人たちとの信頼関係にも影響がでることも危惧され、まさに「火中の栗を拾う」ことにもなると思いました。

他方で、今回の委員就任を打診してくださったセルビア人共和国法務省の関係者は、個人的に信を置く、知人であり研究者です。

私は、人間の安全保障や、移行期正義、国際人道法、国際刑事裁判などを研究領域としていますが、研究の中心はジェノサイドの予防を目的とするジェノサイド研究であり、自身をジェノサイドの研究者であると考えています。本委員会の活動が、今後のジェノサイド予防に資することを願い、またボスニア・ヘルツェゴヴィナの未来に資することを願い、この委員会に参加することといたしました。

私には、3民族それぞれに、さまざまな世代の、大切な、信頼する友人・知人がいます。自身をボスニア・ヘルツェゴヴィナ人、ユーゴスラビア人と考える友人もいます。私は、そのいずれに対しても、誠実でありたいと強く願い、そうした立場で、今回の作業に関わりたいと考えています。

それはそもそも不可能なこと、あるいは、こうした考え自体、あまりにナイーブかつ現地の事情に疎い、愚か者と考えられるかもしれません。しかし、それでもなお、そうした立場を自分に課して参加したいと考えます。

今回の委員への参加や今回の事案に関する私の意見の表明は、私個人の判断と責任において行うもので、私が現在所属するいかなる組織とも関係はありません。ましてや日本政府とは全く関係がありません。 その点をご理解いただければ幸いです。

今後も、このホームページにて適宜、ご報告ができればと考えています。

 

 

 

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