紛争

たかが一人されど一人~「苦難の人に思いを馳せる」より

昨年11月、「聖教新聞」のインタビュー連載企画〈私がつくる平和の文化〉第11回にインタビュー記事が記載されました(2019年11月5日付)。 第11回のテーマは、<生命の尊重>。大変多くの方々から反響をいただきましたので、同紙の許可を得て、以下、抜粋を掲載させていただきます。 *********************

 苦難の人に思いを馳せる

私にとって1990年代の旧ユーゴ紛争での難民支援が、NGO活動、そして、研究者としての原点です。 旧ユーゴは六つの共和国で構成されていましたが、独立を巡って戦火が広がり、大変な数の難民が出ました。私は91年から現地で難民の支援に携わりました。

難民キャンプでいつも感じるのは、支援活動の「限界」と「可能性」です。人手や資金の制約もあり、助けられる人よりも、助けられない人の方が圧倒的に多い。求められたことに応えることより、断ることの方が圧倒的に多い。つまり「限界」だらけです。

一方で「可能性」もあります。障がい者や難病の患者など、誰からも救いの手が届いていない人たちが必ずいて、私たちのような小さな団体でも、できることが必ずあります。また、政治や宗教などが絡まない日本人だからこそ、果たせる役割もあるのです。

理不尽な状況の中で、人間の強さを感じる場面に出あってきました。よくお母さんが、わが子のことになると力が出るといいますよね。人間って不思議だなと思うんです。難民の中でもそういう方々と出会いました。

本当につらい状況で、自分のことで精いっぱいのはずなのに、同じような境遇に置かれている他者への想像力が働き、力が出るのです。自分だけのことだったら諦めるけれど、苦しむ人たちのために自分を犠牲にしてでも声を上げる。私はそこに、人間の強さを感じます。

難民支援の現場では、人を助けるためには、自分の命を守らなければなりません。そして、自分の命が大切だと思えることが、他の人の命も同じように大切にできる出発点だと思います。

平気で他人を傷つける人は、自分の命を大切にされた実感がないのではないかと思います。もし子どもの頃から、誰かに抱き締められ、愛情を注がれていたら、その体験がどこかに残っているはずです。そういう中で育っていない人は、命の尊さを実感できないかもしれませんが、それが伝わるような関わり方をしていくしかないと思う。

「諦めない一人」に

先日、大学生から相談を受けました。世界では不条理なこと、非人道的なことが繰り返されている。それを断ち切るために自分も何かしたいけれど、何もできないのがもどかしい、と。 この学生に私は、「一人の人間にできることは限界がある」と申し上げました。自分一人で何かしようと意気込んでも、大半のことは達成できませんから、「ああ、だめだった」と諦めてしまう。

しかし一方で、世界の大半のことは、一人の人間の力から始まったのも事実です。「諦めない一人」がいたから、いろんなことが変わってきたのです。

だから自分の力を過大評価しない一方、過小評価や卑下もしてはいけない。120%の力で一瞬で燃え尽きるよりも、〝細く長く〟でも続けるほうが、世界を変える力になるということを伝えたかったのです。

リーダーが大きな仕事をして世の中が変わることは、もちろんあります。でも、その人が未来永劫存在するわけではない。世界を変えるというのは、一時的なことではなく、永続的な営みによって、もたらされるものです。だから自分を〝永続的な営みの一部〟と位置づけられる人が、実は強い人で、組織や世界を変えていけるのだと思います。

〝社会の歯車になんかなりたくない〟と、私も学生の頃は思っていました。ですが、地雷除去活動中の事故で右手右足を失ったクリス・ムーンさんというイギリスの地雷問題の活動家の言葉を聞いて、考えが変わりました。〝こんな体の僕でも、地雷の廃絶という大きな歯車の中で仕事ができることがうれしいんだ〟と。それを聞いてハッとしたんです。確かに私たちは歯車の一部かもしれない。でも歯車だからこそ物事が動かせると。

「たかが一人、されど一人」です。自分の立ち位置を客観的に受け入れながら、できることをやってバトンを渡し、連綿と続けていく。そういう人たちの集まりが、世界に変革を起こすのです。

「得」ではなく「徳」を

今、世の中の判断基準が「損か得か」になっている気がします。では、人としてあるべき生き方とは何なのか。

私は「得」ではなく「徳」のある生き方が必要ではないかと思います。それも、人が困難に直面する中で見せた勇気とか希望に、私たちは心を打たれます。どんな立場の人でも、お金がなくても、病気で動けなくても、示すことができるそうした生き方の輝きは、必ず伝染するし、影響力は大きいと思う。

徳のある生き方をするためにも、他者とつながる「心のスイッチ」を切らないでほしいのです。

スイッチを切る=「私には関係ない」と思った瞬間に、全てのつながりはシャットアウトされます。反対に、スイッチを入れる=「関係ないとは思わない」のであれば、その時々にできることはあるし、あるいは、いつか、何かができる。できることが必ずあるはずです。

「平和の定義って何?」と聞かれたら、私は「明日の予定を立てられること」と答えます。地雷原の周辺に住んでいる子たちに、大人になった自分の絵を描いてごらんと言ったら、足のない絵を描くんです。その子たちにとって大人になるとは、足がなくなることなのです。そういう苦難に思いをはせ、生き方を変えることも「平和の文化」だと思います。

将来の計画を立て、未来を創造することは、実はすごい〝特権〟です。でもその貴重さには、なかなか気付けません。誰もがこの〝特権〟を持てるようにするためにも、「心のスイッチ」を切らずにいただきたいと思うのです。 (了)

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【特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)】1979年11月にインドシナ難民を支援するために相馬雪香(尾崎行雄の三女)の呼び掛けで設立。今年で40周年。国連に公認・登録された国際NGOとして、現在、世界15カ国で活動し、紛争や災害などでの緊急人道支援、障がい者支援、地雷対策、感染症対策、啓発・教育活動等を推進する。97年にはAARが主要メンバーである「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を共同受賞した。

長有紀枝(おさ・ゆきえ) 東京都生まれ。早稲田大学卒。同大学院修士課程修了。2007年、東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム博士課程修了(博士)。旧ユーゴの難民支援、地雷禁止国際キャンペーンの地雷廃絶活動等に携わり、08年からAAR理事長。09年から立教大学大学院教授。著書に『入門 人間の安全保障』(中公新書)、『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)等がある。

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