難民

もしも私がシリアにいたら

 もしも私が今のシリアにいたら、7年に及ぶ紛争の間、難民になることもできず、政府、反政府、IS(イスラム国)、外国勢力の砲撃や爆撃にさらされ続けていたら。家族や友人知人を失い、小さな子供の死を連日目の当たりにしていたら。どうしただろう、何を思っただろうと考えます。

 人間はどんな状況にも対応するものだから、日々の恐怖にも慣れ、ものを感じなくなっているでしょうか。

 首都ダマスカス近郊の東グータ地区。多数の一般市民を巻き添えに、反政府勢力の拠点として連日、アサド政権軍による激しい空爆や砲撃が続いています。グテーレス国連事務総長をして「この世の地獄」と言わしめた惨状です。

 東日本大震災と同じ年に始まったこの紛争で「地獄」しか知らず、この世を去っていった子供たちが一体どれだけいることか。

 なぜ、世界は傍観しているのだ、この惨劇になぜ手を差し伸べないのか、という訴えが、シリアからSNSを通じて聞こえてきます。

 これまで出会った、世界各地の難民が口にしたささやかな、しかし見果てぬ夢や希望は、国に帰って普通の暮らしをすることでした。その「普通」の暮らしを満喫している私に何ができるでしょうか。

 もっとも必要とされる政治的解決がかなわない以上、月並みですが、私たちが今できることは国際協力や難民支援だと思います。

 3年間にわたりつづらせていただいた本欄。今回で私の担当は終わります。答えのない問いばかり投げかけた拙稿にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
(毎日新聞「ナビゲート」掲載分はここで終わります。)

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