生きる知恵

チベットの教え、ヒンドゥーの教え(1)

それは、スレブレニツァの独立調査委員会の仕事(こちらから >>>)の帰路に起こりました。ベオグラード空港へ向かう途中、運転手さんが突然不吉なことを口にします。「どこの航空会社?え、ルフトハンザ? ストで1400便が欠航だとラジオのニュースで聞きましたよ」

「1400便の欠航」などにわかに信じがたく、不安を抱えつつ空港で尋ねると、確かにストライキには突入しているものの、フランクフルトまでの便は飛んでおり、今のところ、フランクフルト―成田便も欠航とは聞いていないとのこと。予定通り定刻に出発し、フランクフルト空港に到着しました。

EU域内でも特に厳重な手荷物検査を終えて、成田行きのゲートへ。目の前に機体を確認し、やれやれと思っていると、搭乗時刻直前、不意打ちのように恐れていたアナウンスが流れました。「ルフトハンザ航空は、ストライキのため、成田便に搭乗するクルーの手配がつきません。そのためこの便は欠航します。入国審査を行ってからXXカウンターでチケットの変更手続きをしてください」。

呆然としました。これまで機体の整備不良や到着便の遅れ、悪天候の視界不良といったアナウンスは聞いたことがありますが、機体はあるけれどクルー(乗務員)がいない、というのは初めての経験。(ストライキですから当然といえば当然なのですが)。

入国審査場も長蛇の列。行き場を失った旅行者であふれる空港での、その後のすったもんだは思い出したくもありません。あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、やっとの思いでたどり着いたカウンターには、長期戦を思わせる軽食やら飲料水やらがうずたかく積まれています。番号札をもらい、あとはひたすら待つことになりました。まさかの欠航アナウンスを聞かされてから数時間、やっと順番がまわってきた私の番号表示の出たカウンターには、存在感のあるアジア人の男性が座っていました。

諭すように、なだめるように、聞きやすい英語で彼はいいます。「成田行きですね。代替案は2つあります。ストライキが明けるまで48時間待って同じ便に乗るか、3時間待ってシンガポール経由で成田に飛ぶか。どうされますか?」

「どちらもあり得ないです。すぐ後にANAの成田直行便があるはずですよね?そちらへの振り替えを希望します」「そちらはもう満席です」「1席も?」「ありません」「全く?」「ありません」

「シンガポールまで何時間?」「10時間です」(ありえない)「シンガポールからは?」「4時間待って、成田まで6時間です」(信じられない)「他の便は、他の手段は?」「ございません。二者択一しかありません」(そんなばかな・・・)本来、金曜日の正午に成田着の筈が、帰国は土曜日になります。土曜日には、登壇予定のシンポジウムが入っていました。「困ります。何か、他の手段があるでしょう?」

粘りましたが、彼は先ほどの選択肢を繰り返すばかり。荷物も預けたまま、帰路便だけ他の航空会社の航空券を手配した時の手間や金額は容易に想像がつきます。結局、シンガポール経由便の航空券を発券をしてもらうことになるのですが、このアジア人男性。途中から、ただものではない感がただよってきます。

嫌味な私がいいます「あなたたちはストしないの?」「ストは乗務員だけですよ。私たちまでストをしたら、誰があなた方をサポートするのですか?」「他のお客さんは?素直に言うこと聞きますか?」「いろいろですよ。静かに淡々とする方もいれば、興奮してどなりまくるお客様もいます」

そんな話を聞きながらも、あきらめの悪い私はまだぼやきます。「シンガポールなんて信じられない。もう倒れそうにくたくたなのにこれから20時間もかかるなんて・・・。仕事も入っているのに」「シンガポール、すばらしいですよ。きっと沢山の出会いがありますよ」「行くのは空港だし、新しい出会いなんていらないから一刻も早く帰してほしい」口には出しませんでしたが正直な心の声でした。

いよいよチケットを手にする段になって、ふと、不安になりました。「まさか、この便まで欠航しないでしょうね?」彼が答えます。「そんな先のことなんて、誰にもわかりませんよ。我々ルフトハンザの職員なんて、今夜命があるかどうかさえわからないんだから。今日は誰もがルフトハンザに怒っているから空港から一歩、外にでたら、怒った客に刺されるかもしれない」

この人、やっぱりただものではない。思わず聞きました。「どちらから来られたのですか?」「チベットです」

「チベット」その一言で、彼の態度のすべてに合点がいくような気がしました。「日本に大事な友人がいます」とも。大学院で私のゼミの1期生の修士論文のテーマが、チベット難民でした。「そう、チベットから・・・」

丁寧な彼の対応に礼を言い、再び長蛇の列の入国審査と手荷物検査の列に。そして、数時間後、無事飛行機が離陸した瞬間、機内には拍手が沸き起こっていました。(2)に続く。https://osayukie.com/archives/4469

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