難民

命の次に大切なもの

本日(2020年4月22日)放送のNHK「おはよう日本」。劇作家の平田オリザさんの「文化を守るために寛容さを」という、非常に印象的なインタビューが放送されました。

「もちろん命はみんな大事、それは守らなければならない。だから当然、自粛もしなくてはならない。一方で、命の次に大切なものは一人一人違う。何に救われるかも一人一人違う。あなたには必要ないかも知れないけれど、必要としている人がいるということ、大事にしている人がいるということに思いをはせる、寛容になることが今こそ必要」という心に響くメッセージでした。

平田さんの言葉を聞いて、思わず、「人間の安全保障」の定義を思い出しました。「人間の安全保障委員会」によれば、人間の安全保障とは「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」です。 では、「生」の中枢とは何か。実はこの肝心な部分が定義されておらず、「人間の安全保障」という概念はわかりにくいという批判も多く寄せられます。ではなぜ、敢えてこのような漠然とした定義が採用されたのでしょう。

それは、国や社会によって、個人によってその人の生にとって「かけがえのない中枢部分」が異なるからです。世界の全ての人にあてはまるよう、わざと漠然とした定義が採用されたのです。

私の安全保障とあなたの安全保障は対立するかもしれない。誰かの「人間の安全保障」の確保が、他の誰かの「人間の安全保障」の確保を阻害するかもしれない。しかしそうした対立的関係に、ゼロサム以外の視点を持ち込み、対話を促すのも「人間の安全保障」という概念ではないかと思います。

来週からONLINEによる授業が始まります。春学期の人間の安全保障の講義はこんなところから始めてみたいと思います。「寛容な社会」とは何かを考えながら。

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