【難民を助ける会|理事長ブログにて執筆】
十人十色。人には皆、個性があるように、NGO・NPOにもそれぞれに個性、組織のカラーがあります。開発系か、緊急支援系かといった、専門とする領域や、組織の成り立ち、代表者や構成員のキャラクター、活動する地域などにより様々です。多様性こそ、NGOやNPOの強みです。金子みすずの詩のように市民組織も「みんな違ってみんないい」のだと思います。
私たちAARの特色はなにか、と問われれば、日本生まれのNGOとして36年の活動をおこなってきたとか、現場に身を置きつつ不偏不党を旨とする、とか、海外に資金を送金しておしまい、というような形式はとらず、日本人を実際に現地に派遣して、かなり泥臭く、すべて自前で活動するなどもろもろ挙げられますが、いかにも緊急人道支援系の組織らしい特徴の一つは、結論を出してから行動に移すのではなく、「走りながら考える」ではないかと思います。
私自身、シンポジウムで「走りながら考えています」と発言したこともあります。2001年のアメリカ同時多発テロ直後、かねてより計画していたアフガニスタンの支援を開始したころのことです。タリバン政権の崩壊直後で、いかに女性の視点を入れるかが、国連機関、国際機関を含め、援助団体の共通の、そして最大の関心事の一つでした。
私自身、そのことの重要性と必要性は十二分に意識してはいましたが、果たして、「アフガニスタンの女性」とはだれを指すのか、正直なところ、実はわかりませんでした。一口でアフガニスタンの女性といっても、(私たち日本女性がそうであるように)、アフガニスタンの女性は、多様な集団です。ブルカ(イスラム圏で用いられる女性のベールの一種)の着用一つとっても、難民として海外で過ごした女性と、国内にとどまった女性、後者でも、カブールのような都市の女性と地方の村々の女性、あるいは前者であっても、アメリカやイギリスなど西洋の都市で暮らした女性と、隣国パキスタンの、たとえばペシャワールで過ごした女性とでは、同じアフガニスタン女性でも全く考え方も視点も違うはずです。
だからこそ、女性の視点とは何かということは「走りながら考える」と発言するしかなかったのです。
しかし、いつの間にか、ブルカに対する意見はそれぞれであっても、アフガニスタンの女性には確かな共通項があることも感じるようになりました。お母さんたちの関心は、都会の住人であろうと、地方の住人であろうと、アメリカからの帰還民であろうと、ペシャワールからの帰還民であろうと、戦火のない安全な社会で、子どもたちを、おなかいっぱい食べさせながら育てたい、というささやかで、かつもっとも大切な希望に変わりはないのだ、ということを感じるようになりました。
走る前に考える人。考えがまとまってから走り出す人。何も考えずに走る人(これは問題ですね)。人それぞれかと思いますが、AARは走りながら考えるNGO、です。
このブログの第二回でご紹介した、創設時の相馬先生の発言「団体の名前なんて考えている暇はなかった。そんな暇があったら目の前の難民の人をなんとかしなくちゃ、と思った。インドシナ難民を助けるために作ったのだから、インドシナ難民を助ける会でいいではないか」を思い起こしながら、「走りながら考える」は、相馬先生以来の伝統だったのだと改めて思い至りました。
大学では新学期が始まり、このブログのアップも遅れがちです。お伝えしたいこと、書きたいことは山とありますので、どうぞ引き続きお付き合いください。(2015年4月16日、17日修正)