自然災害

東日本大震災の支援活動を通じた気づき②~災害予防と人間の安全保障

【難民を助ける会|理事長ブログにて執筆】

東日本大震災の発生から5年が経過しました。
東日本大震災という未曽有の災害を経験した、先進国・ドナー国である日本の国際協力NGOとして、私たちの学びを海外のNGOや援助者にも積極的に発信すべきだと考えてきました。その中の最大のことが「福島」に関してです。では具体的に、「フクシマ」を体験した日本の国際協力NGOとして、他の先進国のNGOに、そして原子力発電施設を輸入し建設途上の国々のNGOに私たちの学びとして、何が伝えられるでしょうか。

私自身、東日本大震災発災後、2011年3月下旬から、AAR Japan[難民を助ける会]の福島県での緊急支援に携わり、2011年6月以降は、福島県相馬市の復興会議顧問会議の委員として、相馬市の復興の様子にじかに触れてきました。近隣の飯館村、南相馬市、富岡町や大熊町の役場職員や被災者らと接する機会も多くありました。日々の報道を見るまでもなく、 フクシマにおいて、この5年あまりの活動の学びがあるとすれば、それは、大規模な原子力災害を前に、援助者ができることはあまりにも限られているという事実、それ故、私たちにできる最大の対策は、「予防」しかない、という当たり前すぎる学びです。

「ツナミは人と人を結び付けるけれど、放射能は人と人を分断する」といった被災者の方がいました。分断するのは、地域のコミュニティ、人と人とのつながり、放射線量の高い地域と低い地域。避難する人と留まる人。同じ家族でも、世代により、性別により、職業により、考え方により、さまざまです。避難したいけれどできない人。補償金を得た人、そうでない人。放射能はあまりに多くの関係を断ち切っています。

援助者の被ばくをどう防ぐかも課題として残ったままです。マスクや防護服など、緊急事態を想定して被ばく回避のための装備を完璧に備えたとして、小さな子どもやお腹の大きい妊婦さんたち、そしてお年寄りを含む被災地の誰もが、無防備な、着の身着のままの姿でいる中、たとえ装備が手元にあろうと、自分たちだけがそのような装備を装着することができるでしょうか。警察や消防・自衛隊であれば可能かもしれません。AARとして、組織のルールとしてそれを義務付けたとしても、いざ現場に立った一人ひとりの職員はそれをすることができるでしょうか。

 改めて、フクシマにおいて「予防」の重要性、そのために私たちがすべきこと、原発との向き合い方を考えます。
数年前に記した英語の文章になりますが、東日本大震災と人間の安全保障と題した拙文を英語のHPに掲載しました。拙著『入門 人間の安全保障』の第8章「東日本大震災と人間の安全保障」の内容と重なりますが、ご高覧いただけますと幸いです。

“Human security in a developed country: The example of Japan’s triple disaster in 2011 >> 別ウィンドウで開きます
(2016年3月11日)

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