シリアで化学兵器が使用されました。シリア危機勃発から6年。ここまで生き延び、戦火の中生まれた命がこのような形で奪われた理不尽さに、発する言葉を失います。
これまでもシリアでは、文民を対象に国際人道法に反する意図的な攻撃がなされ、多くの犠牲者と難民・国内避難民を生んでいます。
今回の化学兵器の使用に対し、日本政府は強い抗議と米国への支持を表明していますが、もし米国が軍事介入をしなかったら日本政府はシリア政府を非難したでしょうか。米国の空爆が中東や極東情勢の不安定化の引き金なりかねないとはいえ、ここまでの注目が集まったでしょうか。
同盟国米国が介入したから、犠牲者に邦人が含まれるから、自衛隊を派遣しているからー。そうした理由で紛争や事件に日本政府の関心の強弱、優劣がつけられかねないことに違和感と危機感を覚えます。多くの国民が政府と同じ物差しで物事をみるからです。
先月、南スーダンから70万人を超える難民が流入しているウガンダ、そしてケニアの国境地帯を訪問してきました。
私が直接話を聞いた難民は70万分の20程度にすぎませんが、一人ひとりのストーリーに圧倒されました。警察官だった父を殺され、兄と二人で逃げてきた少女の深い暗闇のような目が忘れられません。
罪のない一般市民が数多く犠牲になっている武力紛争を前に、戦闘か武力衝突かという現実離れした議論に労力を費やすのではなく、文民の保護のために何ができるのかを考え、行動する政府であってほしいと思います。