11月下旬、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)で、ラトゥコ・ムラジッチ元将軍(72)の裁判を傍聴した。
ムラジッチ被告はボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人武装勢力の最高司令官として、人道に対する罪、戦争の法規慣例違反に加え、1995年7月に発生したスレブレニツァ事件でジェノサイド(集団殺害)の罪に問われている。およそ10日間で6000人を超えるムスリム男性が殺害され、ルワンダに続き、国際刑事裁判所で史上2例目のジェノサイドの有罪判決が出た事件である。
ある事情から事件前のムラジッチ被告と面識があり、その家族と近しい関係にある私が、ムラジッチ将軍に、説明できない親近感と哀れとを感じずにおれないのはなぜだろう。
事件の前年、医学生であった愛娘が、父親のピストルで自殺したからだろうか。戦後2度、脳梗塞に倒れて後遺症を引きずり、忠誠を誓った祖国から見放され、ハーグの地で収監される孤独な老人だからか。
いやそうではない。私が事件前に垣間見たムラジッチ将軍が誠実で家族思いの愛国者であったからだ。彼は名の知られた犯罪者でも、ごろつきでも、いわんや殺人鬼でも、異常性格者でもない。そして善悪の判断を放棄し命令に従っただけの人物でもなかった。優秀で誠実な軍人であり、模範的な国民だった。
そうした人物を冷酷で残忍な、そして非道なジェノサイドの首謀者に変えてしまうのが「戦争」なのだと思う。彼が実施し、命じた行為は言語を絶している。