難民

作家・庄司薫さんのご逝去の報に接して

 『赤頭巾ちゃん気をつけて』など「薫くん4部作」で知られる作家で、ピアニスト中村紘子さんの夫である庄司薫(本名福田章二)さんのご逝去が、中村紘子音楽研究所のサイトにて発表されました(https://www.nakamurahiroko.com/)。享年88。令和8年4月5日午後、老衰により「満開の桜に見守られながら、穏やかにその生涯を閉じ」られたとのこと。2016年7月の紘子先生のご逝去から10年のことです。

 拙著『入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて』(中央公論新社2012年、増補版2021年)のあとがきに記しましたが、同書が世に出たのは、すべて庄司先生のおかげです。

 高校時代に読んだ『赤頭巾ちゃん気をつけて』に大きな影響を受け、大ファンであった庄司先生に直接お目にかかれたのは、難民を助ける会に入職後まもなくのことです。中村紘子先生が、難民を助ける会主催のチャリティにコンサートに設立当初から度々ご出演くださっていたからです。インドシナ難民の方々への奨学金支援にはじまり、世界各地の難民支援、そして地雷問題。ご夫婦で高い関心をお寄せてくださり、紘子先生の傍らにはいつもにこやかな庄司先生がおられました。

 書庫の整理のためとして、現在は私の大学の研究室の宝物ープラトンやアリストテレス、ルソーなどからなる世界古典文学全集をお譲りいただいたのはほどなくのことです。信じがたいことに、「章二」という蔵書印が押され、傍線が引かれ書き込みがあり、さらに「犬にかけて」という語まで添えられた蔵書からは、まさに、薫君の息づかいが聞こえるようです。

紘子先生のご逝去をうけて、当時連載していたコラムに掲載された拙稿を転載します。
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中村紘子先生をしのんで 2016年8月9日
 2016年7月26日、世界的なピアニストである中村紘子さんが亡くなられました。享年72。40年以上連れ添ったご主人で作家の庄司薫さんに見守られご自宅で。闘病中とはいえお誕生日翌日の、あまりに突然の旅立ちでした。
 私事で恐縮ですが、紘子先生とのご縁は20数年前にさかのぼります。先生は、私が理事長を務めるNGO「難民を助ける会(AAR)」の設立以来の支援者のお一人で、日本に定住するインドシナ難民の奨学金支援、地雷対策、旧ユーゴ難民支援などのチャリティコンサートに何度も何度もご出演下さいました。
 日本政府が地雷禁止条約への態度をまだ明らかにしていなかった頃、故小渕恵三元首相とご家族の皆さまに地雷禁止の必要性を直接お話できたのも、先生のご自宅でのコンサートの折でした。
 そんな紘子先生の留学先、ジュリアード音楽院には、ご自身が難民という恩師が大勢おられたとのこと。時は東西冷戦の真っ只中の1960年代。国際政治の波に飲み込まれた音楽家は数多く、その意味でも難民問題に寄せる思いは特別でした。世界の第一線で活躍する演奏家なのに、ではなく、だからこそ、国際政治や国際問題とも無縁ではおられなかったのだと思います。
「練習時間が取れなくなるから海外のコンクールの審査員を失礼して猛練習したら、びっくりするくらいピアノが上手くなった」とうれしそうにしておられた先生。ピアノを愛し、還暦を超えてなお、日々高みを目指し続けた先生。がん治療の副作用を逆手にとった、肩や腕の力を抜く新たな奏法と出会い、モーツァルトからラフマニノフまで再び演奏・録音するのをとても楽しみにしておられたそうです。今、天国で試しておられるでしょうか。(毎日新聞の文化欄コラム「ナビゲート」に掲載)
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庄司先生は、今まさに、天国でその演奏を聞いておられるでしょうか。

「これからは本の中でお会いしましょう。」
庄司先生のご逝去を知らせるホームページに掲載された一言です。
庄司先生、本当にありがとうございました。
言葉にしつくせない感謝とともにお二人のご冥福をお祈りいたします。
これからも本の中で、お目にかかります。

6月20日世界難民の日に「避難民急増の裏にあるもの」 前のページ

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