【難民を助ける会|理事長ブログにて執筆】
AARでは会員や支援者の方に毎月、会報「AARニュース」をお届けしています。先ほど、広報チームからあがってきた、入稿直前の4月号の原稿を読みながら、思わず、涙がこぼれそうになりました。トルコにいるシリア難民の子どもたちに、リンゴを届けた際の報告です。
今から20年近く前の話です。私自身、AARの駐在員としてボスニア・ヘルツェゴビナや隣国で同じような状況にある難民や避難民の方々への支援活動に追われていました。帰国後、しばらくしてから、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の会議で、偶然同じ時期にボスニアに駐在していたハンディキャップ・インターナショナル(HI)というNGOのフランス人女性に会いました。ICBLメンバーが、地雷禁止条約が守られているかどうか、新たな埋設がないか、そういった世界の地雷状況を監視し報告する「ランドマインモニター」というプロジェクトの一環でした。定期的に顔を合わせるうちにすっかり意気投合し、会議で会うたびに、ひたすら色々なおしゃべりをするようになりました。そんなある時、彼女がこんなことを聞いてきました。「ボスニアでした仕事で、一番好きだった仕事は何?」私がえ~と、と考えている間に彼女が話し始めました。「私はチョコレートを配ったこと」。
彼女たちのNGO、HIはAARとほぼ同じ時期に、カンボジア難民の地雷被害者の支援を契機に生まれた障がい者支援に特化した団体です。私たちも障がい者支援は活動の柱に据えていることから、HIとはいつも活動領域が近く、過去20年、ラオスやタジキスタン、アフガニスタンはじめ、様々な現場で私たちは彼らに出会い、それぞれの駐在員がそれぞれの立場で、それぞれに交流をしてきました。
そうしたHIの、障がい者支援の仕事の一環での現地駐在ですから、チョコレートの配布は、彼女としても例外中の例外の活動だったはずです。「いつ終わるかわからない戦争の中で、子どもとおばあちゃんたちに板チョコを配った。あの時の、彼らを取り巻く凄惨で悲惨な、出口のない状況と、チョコレートをほおばった時のあの子たちの笑顔を思い出すたび、涙がでる」そう彼女は言いました。
「私たちにできたことはほんの少し。私たちの援助は戦争を終わらせることもなかったし、難民の人の生活を劇的に変えることもなかった。でも、あの一瞬だけでも、そういう人たちを笑顔にすることはできた。そのことを今でも誇りに思っている」。
AARニュース4月号の表紙には、手がかじかむような寒さの中で、家族と一緒に支援物資をとりにきたシリア難民のファデル君と、ナシムちゃんが写っています。シリア難民支援チームの報告がはじまる次の頁には、AARが配ったリンゴを大事そうに抱えて笑顔を見せる小さな男の子と、リンゴを積んだAARのトラックを嬉しそうに追いかける大勢の子どもたちの姿もあります。
シリアでは2011年から続く紛争によって20万人以上の人々が命を奪われ、国民の半数以上が避難生活を余儀なくされています。AARが2012年10月から活動を行うトルコには現在170万人が避難し、その多くは果物や野菜などの生鮮食品がほとんど手に入らない生活です。今回、AARが3回に分けて、新鮮なオレンジやりんごを届けることができたのは、トルコに暮らす膨大なシリア難民の方々のほんの一握り、たった1,517世帯にすぎません。それでも「最後に果物を食べたのはいつだったろう」と満面の笑みでりんごをほおばってくれた子どもたちの姿を皆さんにお伝えしたいと思います。(2015年3月25日)