紛争

シリアの悲劇と私たちの想像力

 ボスニア・ヘルツェゴビナの難民支援に携わっていた頃、今は亡きボスニア文学の翻訳者、編集者の田中一生さんから「不幸な世代」と呼ばれたことがあります。凄惨な紛争の勃発後、かの地に関わるようになった私たちは、3民族が共存していた古き良き時代を知らないから。

 内戦を機にシリアを知るようになった日本人の多くも、やはり「不幸な世代」かもしれません。「シリア人」と言えば、「空爆に逃げ惑う哀れな人たち」「黄色い救命胴着を付け小舟でギリシャの島に渡る向こう見ずな人たち」「家財道具一つない避難先の粗末な家に一家で身を寄せる貧しい人たち」「難民キャンプで垢にまみれ、パン一切れに一喜一憂するやせ細った子供たち」― そんな映像ばかりを連想しがちです。

 あるいは、少数派のヤジディ教徒だけでも4000人近いとされる、「イスラム国」(IS)に性奴隷や戦利品として捕らえられた女性、年端もいかない少女の姿が浮かぶでしょうか。転売を繰り返され、国外から戦闘員を集める「餌」として扱われる女性たちが、数年前までごく普通の家庭の主婦や弁護士を目指して勉学に励んでいた女子学生だと知ったら、父親を目の前で殺され、誘拐された少女がついこの間まで甘えん坊のお父さん子だったと知ったら、私たちは平静を保てるでしょうか。

 だからこそ「彼らはずっと難民だった」と思い込もうとしているのかもしれません。その思い込みに抗して、私が理事長を務めるNGO難民を助ける会では、シリアの内外で支援活動をしています。

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