思考停止しそうな暑さです。それでも小学校のプールの歓声に生命力を感じ、いつもより多く見かける家族連れや涼しげな浴衣姿、朝顔やセミに一層「夏」を実感します。そして夜はやっぱり枝豆にビール?それともきりりと冷やしたお酒に薬味たっぷりの冷奴でしょうか?そうした生者の、生を実感する夏とは別に、夏は死者が帰るお盆の季節。彼岸と此岸の出会う月、再会の時です。
個人的な思い込みかもしれません。直接の近親者ではなく、日本人の集団的記憶の中にある戦死者・戦没者を思い、悼む行為も、記念日だからという理由を超えて、夏は他の季節とは異質なものを感じます。
平素、思いだす主体はあくまで私たち。他方、むせ返るような暑い夏には、死者の魂がまさに亡霊のように、かげろうのようにゆらゆらと、地中から湧いて立ち現われてくるような錯覚にとらわれます。私たちが「彼ら」に会いにいくのではなく、「彼ら」があちらからやってくるのです。「忘れるな」と。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」。広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉です。理不尽に生を断ち切られた人たちは、今、安らかに眠っておられるでしょうか。祈りや鎮魂の思いだけでは許してもらえないような気がします。碑文の主語が誰であれ、過ちは過ちと認め、二度と繰り返さないために、学び、記憶し、不断の努力を続けること。今を生きる私たちの務めであるように思います。
原爆投下から、敗戦から、70回目の夏です。