ICTYの成果について、ICTYのパンフレットやホームページにある文言を下にまとめた。
- 犠牲者に正義をもたらす―ICTYは旧ユーゴの多大な被害者に対して行われた犯罪に対し、161人を起訴した。
- 指導者の責任を追及する―ICTYは国家元首や軍隊の長、大臣や政府高官、中高級レベルの政治的・軍事的指導者を起訴した。これにより、ICTYは、指導者が責任を追及されるか否か、ではなく、いつされるかという問題であることを確実にした。
- 罪を個人に帰す―ICTYは残虐な犯罪を犯した個人の責任を追及することで個人の犯罪と責任を打ち立てた。
- 犠牲者に発言の機会を与える―ICTYは何千という被害者に、証言の機会を与えた。多くの犠牲者が、ICTYに証言に赴くという類まれな勇気を示し、それにより旧ユーゴで発生した出来事に関し、事実の立証に貢献した。
- 事実を証明する―ICTYは、合理的な疑いを超えて、旧ユーゴで犯された犯罪についての事実を立証した。審理を通じ、ICTYは歴史的な記録の形成に貢献し、否定と戦い、修正主義の出現を予防した。
- 法の支配を強化―ICTYは旧ユーゴ地域の司法機関が、戦争犯罪人の裁きを継続できるように支援した。ICTYは法の支配の強化の一環として、証拠や情報、判決記録を提供しながら旧ユーゴ各国の国内法廷と連携した。
- 国際法の発展に寄与―判決や判例、手続き証拠規則を通じて国際刑事法分野の理解と発展に多大な貢献をし、その後の国際刑事法廷、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)、シエラレオネ特別法廷(SCSL)、カンボジアのクメール・ルージュ裁判特別法廷(ECCC)、レバノン特別法廷(STL)そして国際刑事裁判所(ICC)の設立の端緒となった。
- 効果的なアウトリーチプログラムの創出―ICTYと地域の関係を強化し、その判例や判決に地域の人々が触れられるような多様なプログラムを実施した。
ICTYの最大の目的は、旧ユーゴ紛争の停止と犯罪人の処罰である。この本来の目的の評価は後述するとして、まず、ICTYが国際法の発展に果たした役割について触れないわけにはいかない。
国際法、とりわけ国際刑事法や国際人道法の領域への貢献は計り知れないものがある。副次的効果にすぎないとはいえ、研究者によっては、ICTY最大の功績とも目されよう。
なぜなら、この分野においては、法概念は存在しても、法の実行そのものの前例がなきに等しかったからである。
ハイテク技術を駆使し近代法廷のモデルともなったICTYは、過去五〇年の「不処罰の文化」に終止符を打ち、国際人道法と国際刑事法で多くの先例を生み出した。
ICTYが管轄権を有する、一九四九年のジュネーブ諸条約に対する重大な違反行為、戦争の法規慣例違反、人道に対する罪、集団殺害(ジェノサイド)罪の定義や構成要件を明確にしたのみならず、性暴力が国際法上の犯罪を構成しうることを明らかにし、一九四九年のジュネーブ諸条約が適用される国際的な武力紛争の存在の認定や保護対象者の定義、上官責任の認定など枚挙にいとまがない。
さらに特筆すべきは、慣習法の一部とされるものの、ICTY規程には明文規定はない、新しい法概念JCE(Joint Criminal Enterprise:共同犯罪企図)が、判例を通じて生み出された点である。
JCEは、犯罪の成立前や犯行の合意時、あるいは犯罪行為とは物理的に離れた地点で犯罪の企図に重大な影響を及ぼしたと考えられる責任者や指導者に対して、たとえ証拠がなくともその犯罪を立証する概念として多用された(Schabas, p.24、竹村)。
ICTRと合算し、国連の通常予算の一五%を占めるなどカネがかかりすぎたことは大きな誤算といえようが、国際法領域への多大な貢献を可能にしたのは、この法廷が安保理の付属機関であること、それゆえすべての国連加盟国が従うべき拘束力をもっていたこと、同時に安保理にとっては、東欧の小国で起きた出来事に過ぎないことが挙げられよう。
ICTYの判事らにしても、自らの出身国で、国中が注視する大物政治家や要人を裁くときに、否応なく直面するであろう類の圧力からも自由であったはずだ。また、そもそも上部機関である安保理から求められ、国際世論上も「戦犯」と認定され、被害者や証人がその非道や犯罪について証言を行う被告を裁く裁判である。
多くの場合、いかなる遠慮も政治的配慮も不要であったことが、これらの法的発展をゆるぎないものとしたと筆者は考えている。そもそもJCEという法概念自体、当時国際社会からナチの強制収容所になぞらえて大きな注目を集めていたオマルスカ「強制収容所」(実態は、捕虜収容所であったとも言われるが)のセルビア人看守や、ムラジッチらセルビアの武装勢力の最高幹部らを裁くために編み出されたものとも考えられる。
性暴力の訴追に関してもICTYの功績は大きく、起訴された一六一名のうち、ほぼ半数の四八%にあたる七八名の起訴状の訴因に性的暴力が含まれ、三二名が有罪となった。
さらに、ICTYが強調するのは、犯罪の責任を国家や民族集団ではなく、個人に帰着させることの重要性である。これにより特定の国家や民族集団が、集団的な責任を負わされることが防止される、ひいては、大規模な違反行為や犯罪の事後に必要となる社会集団間の和解を促進させる効果が期待できるとされる。
しかし、これには国際刑事裁判が公正・公平なものであるという認識が大前提となるだろう。果たして、紛争当事者に、あるいは、各民族にICTYはそのように認識されていたのであろうか。