6 国際戦犯法廷の先にあるもの

 ICTYは確かにその目的を達したと言える。セルビア人の戦犯を裁く、という目的である。

 もちろん裁かれたのはセルビア人のみではない。すべての紛争当事者が有罪判決を受けた。しかしそこに、和解や紛争予防の副次的効果を期待するのであれば、ボスニア紛争を終結させたデイトン和平合意が「停戦には成功したが、国造りには失敗」と評されるように、ICTYも「一部戦犯の不処罰の停止には成功したが、和解と平和構築には失敗」という評価も成り立つだろう。

 本来、国際刑事裁判の特徴の一つは、紛争地や人権侵害の現場から距離を置いた場所にあり、当事者の政治的、物理的妨害に左右されない公平性と独立性にある。

 しかし、ICTYをみる限り、「中立性」や「第三者性」を放棄した冷戦後の安保理による政治的な決議の形で誕生した。その構造的な欠陥、設計図そのものの弱点が、一〇〇〇人を超える職員の献身的な働きとはまた別のところで、平和構築や和解の妨げになっているといえないだろうか。 

 デイトン和平合意が三民族以外の存在を認めないことで、三民族の分断を濃くしたように、ICTYも三民族ではなく個人を裁くその方法によって、「正義」という刀で分断を一層鮮明にした。

 戦争犯罪人を美化する政治家の発言や風潮があるとして、ICTYや国連事務総長が閉所式でも異議を唱えたが、ICTYの「戦犯」のなかには、個人の利害や損得勘定ではなく、自らの民を守るためだけに戦い、それらの「戦犯」に実際に命を救われたという人々も大勢いる。

 
 ムラジッチ判決後、ボスニアにいる友人に恐る恐る感想を尋ねた。夏に会った時には「ICTYには何も期待していない。どんな判決が出ても誰も満足しないと思う。ボシュニャック人は軽すぎる、不十分だといい、セルビア人は重過ぎる、不当だというに決まっている」と語っていた青年医師。スレブレニツァの虐殺で祖父と叔父を亡くした遺族である。

 しかし、ムラジッチ被告の終身刑を受けてその友人は言った。「あまりに遅すぎたけれど、自分にとっても家族にとっても、少しでも、正義がなされたことは嬉しい」。

 彼は続ける。「でも同時に悲しみもつのった。判決が下っても、誰も帰ってこないから。

 今日、スレブレニツァ近くの村に車を走らせた。ムラジッチと彼の政策のせいでもう誰も住まなくなった村が多くある。

 セルビア人は今回の判決は、尊敬すべき人物への不当な攻撃判決だと考えている。僕の国には、憎しみと傷だけが残った。これがどのように癒えるのかわからない」。

 ICTYの二四年を大変大まかに振り返ったが、ICTYの閉廷は、冷戦終了直後の国際社会の産物の終焉であって、旧ユーゴ紛争の戦後処理の終焉ではない。

 ICTYの後継機関MICTでは、カラジッチ、ムラジッチ両被告の上訴審を含め四つの事件の五人が係争中であり、国内裁判も続いている。

 私たちはこれらの進展と紛争後の社会の行く末とを、引き続き注意深く見守る必要があるだろう。ボスニアの戦争犯罪人の裁きは、来るべきシリアの紛争後の試金石でもあるのだから。

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