“Rashōmon” まだ雪が残る一九九五年三月、隣国セルビアからボスニア・ヘルツェゴビナに向かう車中、セルビア難民局に勤める友人が、旧ユーゴ紛争、あるいはボスニア紛争を指して口にした言葉だ。
紛争終盤とはいえ、まだそれが紛争最後の年になろうとは想像していなかった時のことだ。
「まさに『ラッショモン』だろう?」。現地の言葉特有のRの音に強いアクセントを置いたその単語には、異国情緒が色濃く漂い、それが日本語だとはすぐに気づくことができなかった。
しかし、彼の話が、ボスニア紛争の当事者三民族による歴史認識、戦争の見方や解釈の違いに及ぶに至り、私の頭の中のカタカナの「ラッショモン」は漢字の「羅生門」となった。芥川龍之介の『藪の中』を原作とする一九五〇年の黒澤明監督作品『羅生門』である。
法廷で裁かれた旧ユーゴ紛争を、特に対象とされた三つ巴のボスニア紛争をどのように見るかは、非常に複雑、かつむつかしい問題だ。「羅生門」のエピソードをとっても、現地語をなんと表記するのか(セルボ・クロアチア語か、セルビア語、クロアチア語、ボシュニャック語か)、歴史認識の「歴史」をどこまで遡るのか(一四世紀後半か、第一次世界大戦か、第二次世界大戦か)、そもそも紛争とはどの紛争を指すのか。
一般に、(何をもって「一般」とするか自体、多分に話者の意図や立ち位置を示すことになるのだが)欧米社会を中心とする国際社会においては、セルビア悪玉論が席捲しているといえるだろう。
では、国連や安保理、そしてその一機関である戦犯法廷においてはどうか。私の友人のいうところの「羅生門」的歴史観・歴史認識を取ってはいなかったことは確かである。ではどのように見ていたのか。