6 おわりに

 こうしたボスニアの経験から私たちは何を学べるだろう。

 ボスニア紛争の過程において、包囲され困窮したスレブレニツァの住民が政府軍支配地へ逃れることを手助けした国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ら援助機関に対し、ボスニア政府は、国連がセルビア側の民族浄化に加担したと抗議を繰り返した。

 現在シリアで起きている恐ろしい統治の手法、すなわち、他民族・他宗派に属するか、自らの支配に服従しない「まつろわぬ人々」を、凄惨な暴力により、難民や国内避難民として支配地域外や国外に流出させ、服従するか他に選択肢も行き場もない人々からなる地域で自らの支配を確立していく手法は、ボスニア紛争同様の「民族・宗派浄化」とみることができる。

 この「民族浄化」をある意味で固定化させ、正当性を与えたのもデイトン和平合意である。国際社会の代表である「上級代表・OHR」の強権の下で、すべてが分断されたままだ。

 この手法でしか停戦は実現できなかったとみるべきなのか。しかし「民族浄化」が行きついた先の、紛争二〇年後のボスニア社会が抱える苦悩は、自らの領域内に多様性を認めない社会の末路にも見える。

 そんな中でみた光明は、自らをユーゴスラヴィア人やボスニア・ヘルツェゴヴィナ人と規定する人々が存在することだ。彼らの存在は、いつの日かシリアの和平が実現した際に、デイトン和平合意の失敗を教訓として生かすことにもつながるかもしれない。

 スレブレニツァのジェノサイドから二一年。私がこの夏見た、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの姿は、「民族融和」や「和解」「共存」という言葉を軽々しくは口にできない独特の雰囲気と険しい空気に包まれていた。

 虐殺の現場が日々の生活空間に存在する世界、無言の協力をした人々の沈黙と記憶が息づく世界、家族のもとに帰れない死者たちがすぐ近くの山中で朽ちていく世界、夫や息子、兄弟たちの遺体を探し続け、待ち続ける女たちが暮らす世界。そこから、友好的な、明るい未来像を描くことは部外者にとってさえ、難しい。

 ICTYでムラディチ被告の審理は終了した。判決は二〇一七年一一月に下される。この判決はボスニア・ヘルツェゴヴィナに、そして犠牲者と多くの加害者・加担者に何をもたらすだろう。

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