難民

中村紘子先生をしのんで

 2016年7月26日、世界的なピアニストである中村紘子さんが亡くなられました。享年72。40年以上連れ添ったご主人で作家の庄司薫さんに見守られご自宅で。闘病中とはいえお誕生日翌日の、あまりに突然の旅立ちでした。

 私事で恐縮ですが、紘子先生とのご縁は20数年前にさかのぼります。先生は、私が理事長を務めるNGO「難民を助ける会(AAR)」の設立以来の支援者のお一人で、日本に定住するインドシナ難民の奨学金支援、地雷対策、旧ユーゴ難民支援などのチャリティコンサートに何度も何度もご出演下さいました。

 日本政府が地雷禁止条約への態度をまだ明らかにしていなかった頃、故小渕恵三元首相とご家族の皆さまに地雷禁止の必要性を直接お話できたのも、先生のご自宅でのコンサートの折でした。

 そんな紘子先生の留学先、ジュリアード音楽院には、ご自身が難民という恩師が大勢おられたとのこと。時は東西冷戦の真っ只中の1960年代。国際政治の波に飲み込まれた音楽家は数多く、その意味でも難民問題に寄せる思いには特別でした。世界の第一線で活躍する演奏家なのに、ではなく、だからこそ、国際政治や国際問題とも無縁ではおられなかったのだと思います。

「練習時間が取れなくなるから海外のコンクールの審査員を失礼して猛練習したら、びっくりするくらいピアノが上手くなった」とうれしそうにしておられた先生。ピアノを愛し、還暦を超えてなお、日々高みを目指し続けた先生。がん治療の副作用を逆手にとった、肩や腕の力を抜く新たな奏法と出会い、モーツァルトからラフマニノフまで再び演奏・録音するのをとても楽しみにしておられたそうです。今、天国で試しておられるでしょうか。

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